昨年12月の安倍内閣発足直後、麻生副総理がミャンマーを訪れ、現地の大歓迎を受けたことは記憶に新しい。この訪問で、日本はミャンマー国民に、一定のリーダーシップをアピールすることができたようだが・・。先日、私は2012年2月に日本政府からのインフラ支援が決まった、ティラワ工業団地周辺を訪問した。ティラワ地区はヤンゴン市内から約25キロの場所に位置しており、工業団地に向かう途中の公道沿いの地域は、徐々にではあるが発展の兆しが窺えた。
現在ティラワは主要な港であり、周辺の工業団地用地は未整備状態であるものの、地価は高騰を始めている。
この地域における日本からのインフラ開発支援は2012年1月27日付バンコクポストの紙面でも大きく取り上げられている。
このような開発プロジェクトは、ミャンマー経済の可能性を切り拓く大きな一歩と言っても過言では無い。
ヤンゴンは空前の開発ブームに沸いており、街中ではコンドミニアム、オフィスビル、フライオーバーなど様々な建設プロジェクトがスタートし、少し前までは考えられなかった渋滞も引き起こっている。
私と古くからの友人関係にあるミャンマー人ビジネスマンとの会話の中で、日本人は“NATO”(N:ノット・A:アクション・T:トーク・O:オンリー)だと言う話があった。韓国人、中国人ビジネスマンは即決即断”。対して日本人ビジネスマンは“持ち帰って検討します”というのがミーティングの常套文句で、ミャンマー人ビジネスマン達が皆、“もう握手は飽きた”と嘆いていたのが印象的であった。
その嘆きは「ミャンマー人は日本に大きな期待を抱いている」ということの表れでもあると私は思う。東南アジアで“ジャンパン・ブランド”が通用する唯一の国は、現在ではミャンマーとタイのみであろう、と東南アジアビジネスに人生をかけてきた私は感じている。
今のミャンマーは2015年のアセアン共同体構想を目前に控え、周辺諸国との競争を意識し、これまでの時間の遅れを取り戻すがごとく焦っているように感じられる。色々な場面で 違和感を感じることも少なくない。
確かにミャンマーは急激な民主化の波の中、その存在感を増し、国際社会からアジア最後のフロンティアと期待され、実際にヤンゴン開発の速度は今後の発展を予測させる大きな魅力がある。ただ、現時点のミャンマーという国を“大きな海に出た船”に例えると“海図無き航海”はリスクが大きい。今のミャンマーへのビジネス投資は、時間軸を追って、その段階に応じたステップを見極めながら進めるべきだと思う。
ひとつ言える事は、日本企業においては1日も早く越境できるだけの企業体質を整え、決断力のある人材を育てる事が急務であると確信している。
(2013年2月)