2011年、新憲法に基づく総選挙を経てテインセイン政権が発足、2012年11月にはオバマ大統領の訪問も実現し、いま多くの日系企業が注目しているミャンマーを20年ぶりに訪問した。
バンコクとヤンゴンは飛行機で約1時間、距離的には東京-大阪ほどの感覚ではあるのだが、時差30分という微妙なズレは大変に厄介であった。空港に降り立ち、まず驚かされたのは車の多さと渋滞の凄ざましさである。軍政下の長い間、新車の輸入が制限されていたせいで、新車はほとんど見かけられず、多くの車が中古右ハンドルの日本車であった。その理由は、日本車の耐久性の良さと、隣国タイからの中古車輸入が多く補修部品が容易に手に入るためと説明を受けた。しかし、ミャンマーの道路は右側通行であり、渋滞の中での運転は非常に難しそうに感じた。かつてはイギリス領であった筈のになぜ右側通行かと質問すると、軍政下の1970年頃、指導部がイギリス式を嫌い、変化の象徴として右側に切り替えたとの事であった。
一方で、バンコクでもお目に掛かれない様な超高級車が走っているのも見掛ける。この国で数千万円もするような高級車を、誰が買っているのかと疑問を感じた。2~3%の富裕層とその他一般国民の大きなギャップを今後どう改善していくのかが重要課題だと思う。
交通事情でもうひとつ、バンコクの風景とは何かが違うと思っていたら、それはバイクが全く走っていない事であった。どうやらヤンゴン市内ではバイクの通行が禁止されているようで、市民の足はバスしか無いのが現状である。
民主化が進むに連れヤンゴンを訪れる外国人は飛躍的に増えてきているのにホテルはまだまだ少なく予約が困難で、価格もバンコクの2~3倍程度であったが、これでも政府が介入して価格高騰を抑制しているとのことであった。駐在員向けの住居も非常に限られた物件しか無いため取り合いになり、賃貸料もバンコクの3倍程度である。郊外の小綺麗な一軒家の売価がなんと1~5億円と聞き耳を疑ったが、それでも完売する人気ぶりであった。
ミャンマーの通貨はチャット(1万円=約10万チャット)であるがホテルでの料金表示は全てUSドルで、チャットで払うと言うとスタッフは計算機を持ってくるのには驚愕した。残念ながら円は殆ど評価されておらず、クレジットカードも全く使えなかった。
弁護士事務所を訪問したのだが、その事務所は過去20年間開店休業状況となっていたようで、その理由は訴訟となると大物が登場し、この御仁の意向が法律になる為だと説明を受けた。また経理事務所で聞いた話によると、ほとんどの企業が二重帳簿でどんぶり勘定、もちろん納税などは適当に終わらせていたという驚くべき状況であった。
<img class="alignright size-medium online slots wp-image-1851″ alt=”IMG_5261″ src=”http://thai-plusone.asia/wp/wp/wp-content/uploads/IMG_5261-300×225.jpg” width=”300″ height=”225″ />民主化が叫ばれて以降、変化が一番顕著になったのは、マスコミが自由に報道が出来る様になった事で、数多くの増収贈賄やスキャンダルが表面化して来た。軍事政権と中国の蜜月は凄ざましいものがあり、ダム、発電所、道路等々、ほとんどのインフラは中国の支配下になっていた。
その状況下でいま一番叫ばれている事が「脱中国」である。国民の対日感情は非常に良く、タイより広く豊かな国土を持ち、人口もタイとほぼ同じであるこの国でヤンゴンが、10~20年後には現在のバンコクの様になるのではないかと、そのポテンシャルを強く感じた。
目下、外資に対する法律は出来たがその細則はまだ無く、ミャンマー進出を企む外国企業は身動きが取れない状況だが、間もなく2月2日にはその細則が公表されるとの情報で、これが出ると外資の動きが一挙に活発化するものと思われる。
これまで開店休業状態だった弁護士事務所は超多忙になるであろうし、公認の経理マンが1300人程度しかいないこの陣容で、どう経理業務を遂行していくのかを想像すると恐ろしい。多くの経理マンをシンガポールから呼び戻すとの事であるが、かなりの経費増となる事は避けられないと思う。
電力も圧倒的に不足し、外資の進出ラッシュが起こると同時に数多くの難題も出てきそうで、これらがどの程度のスピードで改善されていくのかには注視をしなければならないが、地上に残された数少ない“楽園”である事は間違いないと思う。