いつの日にかは来る事を覚悟はしていたが、3月8日早朝、当社に悲報が届けられた。
即ち、1997年7月1日にM&A社を立ち上げた時の最大支援者で筆頭株主、タイ副首相、内務大臣、警察庁長官等歴任の大恩人パオ・サラシン氏ご逝去の知らせであった。享年83歳であった。
以前から療養中ではあったが、今年に入ってから病状が思わしくなく、1ヶ月ほど前には集中治療室に移ったためお見舞いも適わぬ状況となってしまった。大変心配をしていた矢先の事であった。
当社の代表が前職で初めてタイに赴任したのが、1992年6月、辞令は4月に出ていたのであるが、ちょうど5月の流血事件の最中で、東京に足止めされていたそうだ。やっとのことで着任したものの、タイについての知識は全く無く、自己のタイ人上長を探し求めていた。
同年9月、タイの難局打開を国王より託された、民間人のアナン首相並びにパオ副首相が、総選挙の任を終え、身を引かれるとのニュースに接した。タイの知人にアドバイスを求めると、アナン氏は無論素晴らしい御仁だが、貴方が困った時に助けてくれる最適の方はパオ氏のほうだという。早速面談をお願いした所、すぐに会いに来いとの回答をもらい、恐る恐る参上した所、最初のお言葉が『GOLFはやるのか?』だったそうだ。これに『大好きです』とお答えすると『そのお役目引き受けた』の回答が返ってきたという逸話がある。
その5年後に定年の報告に伺うと、『今後はどうするんだ?』と聞かれ、『郷里に帰ってトマトやキュウリを作ります』と答えたそうなのだが、間髪入れずに『トマト、キュウリはタイでも作れる。資金も半分出すから起業しろ』と返って来たそうだ。
これが16年前の当社設立の経緯であるのだが、パオ氏にお世話になったのは3年間余り、特に深いお付き合いでも無かったのに、何故そこまで好意的な対応をしてくれたのか、その答えを聞く機会を逸してしまった事をとても悔やんでいる。あれから16年、今日まで来れたのは、何と言ってもパオ氏とサラシン家の支援、庇護の下にあったからと思っている。
“巨星堕つ”…。やはり大きな大黒柱を失った感を深くしているが、時代の大きな変わり目でもあるのかなとも感じている。ご冥福を心よりお祈りしたい。
ご葬儀は、王室が許可した者のみが行えるベンチャマボピット寺院と決まり、3月8日、王女殿下がお越しとなり、蝋燭に火をともしてから開始となった。1週間は王室主催、その後2週間は毎日数社のパオ氏が関係した企業が主催となり、執り行われた。6月16日に、また王女殿下ご臨席のもと火葬の儀式が執り行われ、これで終了となる。合掌。