12月5日は国王陛下の86歳のお誕生日、さすがのデモ隊もこの日は休日とし、人々は祝賀に参列した。国王は皇族方、軍隊、政治家等々より多くの祝辞をお受けになられたが、今回この行事は初めてバンコクでは無く、ご静養中のホアヒンで行なわれた。
恒例の国王のスピーチも行われた。 “タイ国は永年に亘って、国民の協調性と団結によって、平和が保たれて来た。またタイ人はお互い助け合うことを義務として来た。全てのタイ国民は今この点を思い出して欲しい。そしてタイ国の発展、安全の為に、今こそ全ての国民はその義務を果たして貰いたい“ と述べられた。国家の発展、そして国民の安全を考え、今の衝突は即中止し、皆各々での義務を果たせと仰っている様に感じられた。
国王のお元気なお姿を拝見するのは嬉しかったが、残念ながら、お側にシリキット王妃のお姿は無かった。ご健康のご回復をお祈りしたい。
12月中旬、国会には殆ど出席しないと言われているインラック首相が、今回のデモ騒ぎで遂に国会に登場となったが、何と会議場での自分の座る場所が分からず、野党席に着座、人々の失笑をかった。また、警察での会議の後、緊急TV出演があるとのことで人々は注視したが、失敗を恐れたのか、“首相は超多忙である”と副首相が代理出演した。
また別の日には、女性週刊誌しか読まない(就任当時よりまことしやかにそう囁かれている)インラック首相らしく、野党からの質問に対し、違った質問の回答文を棒読みしてしまったこともあったのだが、それを野党から追求されると、何と“質問が間違っている、正しい質問をしろ”と逆切れしてしまった。唯一好評なのは外遊であるが、デモ騒ぎを後ろに外遊ばかりで、首相は職場放棄と酷評されても致し方ないのではと思う。
その後、兄タクシン氏とどういう打ち合わせが行なわれたのかは不明だが、遂にインラック首相は国会解散の賽を投げた。記者会見では、強張った表情で、非常な早口、且つ涙顔で、“自分は国家、国民の事を深く考え、最も民主的な解決策として国会解散を決定した。デモをする人々は、これ以上どの様な譲歩を望むのか”と捲くし立て、記者の質問は一切受け付けず、足早に退場してしまった。
5年前にその違法性により有罪となり、政界から追放されていた大物議員105人がこのほど復党したのだが、タイの選挙法では、政党に30日間在籍していないと、その党から立候補出来ない事になっている。それを承知の上で、インラック首相がこのタイミングで解散を表明した事は、この大物議員105人は、タイ貢献党から立候補出来ない事を意味する。タクシン氏は何故この判断をしたのか、大きな疑問を呈している。
総選挙は2月2日と決まったが、野党側は期日の延期を提案、また最大野党の民主党は選挙のボイコットを表明、デモ隊は選挙登録事務所を包囲しこれの妨害等、この争いの出口は未だ見えて来ない。今回のデモ参加者も野党も、タクシン憎しは叫ぶものの、然したる公約も主張も無く、これではまた選挙での敗北になる事がほぼ確実で、デモは解散が目的では無いと叫ぶものの説得力に欠けている。残された手は、選挙をボイコットする事であるが、これでは国際世論の同調は得られないとも思っている。
明日から“バンコクシャットダウン”と称する大規模デモが開始されるバンコクであるが、バンコク市内だけでも、一日最大30万人と言われる人々も動員している今回のデモ。デモ隊の一日に必要な食事代が2,000万円とも言われる大金で、これがすべて寄付で賄われている。こんな追い風はまたとない好機である。アピシット率いる野党、しっかりしろと叫びたい。。。