アジアの"いま"

辻本 浩一郎
2014/06/02 11:15
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与党貢献党が目障りとし最も恐れてきた「司法クーデター」が再び起こった。憲法裁判所はインラック政権下で行われた高級官僚の更迭人事を巡り、インラック首相が憲法に違反して不当に介入したと認定、即ち「親族の利益のために人事に介入したと信じる理由がある」とし、首相は失職するとの判決を下した。これでタクシン派首相が3代続けて憲法裁判所に違憲判決を下されることとなった。

 

1997年憲法で誕生した憲法裁はタイ史上最も民主的と言われているが、2006年のクーデターを受けて制定された2007年憲法でさらにその権限が強化された。これを、立法、行政、司法の三権分立どころか、完全に司法の暴走を許している、危険極まりない歴史的悪法と捉える見方もあり、確かにその印象は拭えない。

 

インラック氏は「首相を務めたことを誇りに思う。これまで国民のために全力を尽くしてきた」と語り、集まった支持者達より差し出されたタクシン派のシンボルカラーである赤色の薔薇を受け取りながら、約3年務めた首相の幕を閉じた。これが5月上旬の話である。

 

その後、首相の失職の追い風に乗り、反タクシン派は、一気にタクシン体制打倒に向け「最後の大勝負」に打って出ようとした。一方、その動きに対抗するためタクシン派も黙っておらず、大規模集会を開催するなど、より結束を強化し対抗しようとしていた。

 

その矢先、タクシン派が大量の武器を保有していることが発覚し、双方の対立激化、衝突、暴動を危惧した軍が戒厳令を発令。治安維持のため、警察に代わり軍が前面に出てくることとなった。これでクーデターの布石を固めたことになる。これが5月20日の話。

 

戒厳令発令に伴い、軍がタクシン派と反タクシン派をはじめとする関係各派代表者を集め、軍が仲介役となって、(1)いつ総選挙を実施するか?(2)暫定首相の選出は可能か?(3)双方は集会を中止できるか?(4)改革は総選挙の前か後か?(5)どうすれば治安を回復できるか?の5点について協議がなされたが、双方とも主張を繰り返すばかりで歩み寄る姿勢がなかったため、協議2日目、軍トップであるプラユット司令官は「この国に平和をもたらす方法が見つからず、誰も引き下がろうとしない。それなら、私は統治権の奪取を決断した」と宣言、クーデターに踏み切り、発足させた国家平和秩序評議会(NCPO)が全権を掌握、憲法は停止、政権は崩壊、協議に出席した御仁らの身柄は拘束となった。これが戒厳令よりわずか2日後の5月22日の話。

 

わずか2日間の協議過程でクーデターに踏み切るとは、双方が断固譲らず、何の妥協も同意の兆しも見られなかったことに司令官はよほど我慢がならなかったのであろう。しかしながら、タイにはタイの民主主義があるかもしれないが、今回のクーデターはかなり偏った喧嘩両成敗ではないだろうか。

 

2006のクーデターによるタクシン氏失脚の際には、すぐさまタイ暫定首相に、クーデターを主導したソンティ陸軍司令官の師匠で且つ国王から厚い信頼を得ていた元陸軍司令官のスラユット枢密院議員が指名された経緯がある。

 

30日段階でまだ暫定首相は発表されていない。国王が勅令を出し、プラユット司令官の評議会議長就任を承認したことにより、そのまま同議長が暫定首相を務める見方もあれば文民より指名する可能性もある。上院は解散。暫定政権が行政、存続させた裁判所や独立機関が司法、そしてNCPOが立法を担当しつつ、新設する国民会議が新憲法起草、改革会議が国内改革を担う形となる。

 

前回のクーデターにおいては、当時の国家治安評議会は、暫定憲法を公布した上で、その後、新憲法公布、総選挙、民政移管を主導している。当時のスラユット政権は国内外よりの評価、期待も高く、信頼も厚かったが、結局、タクシン派追及は中途半端に終わり、復権を許し、影響力の排除に失敗した結果となっている。タイ当地紙コラムでは「今回のクーデターはその仕事を終わらせるための別の試みだろうか」と皮肉っている。

 

一方、その前、1992年5月のクーデターの折は、国王は民間人よりアナン首相、パオ副首相を任命し、二人に組閣を命じ、わずが4ヶ月後の同年9月には総選挙を行い、チュワン政権を発足させている。そのアナン氏であるが、いまだに“首相になってもらいたい人No.1”の人気を持つ御仁である。

 

国王を政争に巻き込まず、且つ前回の二の舞にならぬよう、タクシン派を完全に封じ込めた上で、新憲法を公布し、その下で総選挙を実施、無事、現在の国家分断問題を根本より解決しうる民政への移管がなされるのか、プラユット司令官をはじめとするNCPOの手腕とタフさが問われるところである。

 

話は少し逸れるが、いまだ国王裁定を求める声が多いのも事実である。

 

上述の1992年のクーデターであるが、軍部出身の首相と民主化を進めるリーダーが敵対し、その結果、軍とデモ隊が大規模衝突。軍が無差別発砲、多くの死傷者を出し、内戦に向けた一触即発の状態となった矢先、 国王が敵対する彼ら2人のリーダーを呼び寄せ、「ひとつの国ではないか。手を取り合い国家及び国民のため協力しあって欲しい」と諭され、内戦が回避された事件である。     

           

常に国民の目線に立たれ、国民に尽くされ、そしてタイ王国が国家危機に瀕した時には「いがみ合うのではなく、協調しなければならない」と、国民ひとり一人がお互いに協調し合うことが、タイに平和と繁栄を、そして国民に幸福と喜びを齎すと繰り返し諭されてきた。

 

国王は現在も続く由々しき国家の事態に憂慮されており、国民が心を一つにし、一致団結することの重要性を諭されているが、引き続き、直接的なご裁定、及び対応策を命じることはされておられない。

 

「それは“国民が国家の危機を、自分達で考え、協力、一致団結して乗り越えていきなさい。そしてより良い国家を自分達の手で築いていきなさい”との国王からのメッセージである」と受け止めているタイ国民が大勢いるのも事実である。

 

果たしてこの国家危機、難局をタイ国民が自力で乗り越えて行くことが出来るのか? タイ王国としての正念場を迎えている。

辻本 浩一郎
コンサルタント

M&A Advisory Co., Ltd.
Executive Manager


バンコク在住14年、タイにおける日系企業のビジネスを、進出支援全般を含め、特に法務、労務、会計・税務の面でコンサルティング、サポートしている。

M&A Group : http://www.m-agroup.com/


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